「ヘルニア 甘え」。この言葉で検索する人は、たぶん2種類いる。
まわりから怠けていると思われて、それがつらい人。もうひとつは、自分で自分を疑っている人。今日休んだのは体のためだったのか、それとも逃げただけなのか、と夜になって考えてしまう人。
自分は、両方だった。そのうえで先に書いておくと、この記事に答えは書いていない。1年以上考えて、まだ出ていないからだ。
かつての自分は、他人の腰痛を「アピール」だと思っていた
順番として、まずこれを書かないとフェアではないと思う。
ヘルニアになる前、自分は「ヘルニア持ちなんですよ」と言っている人を、腰痛アピールだと思っていた。腰が痛いのは自分にもあるし、みんな多少は痛いだろう、と。
やる気があれば頑張れる、とも思っていた。実際、その頃はコーヒーを1杯飲めば仕事ができた。腰が痛くても、寝不足でも、なんとなく乗り切れていた。乗り切れているから、乗り切れない人のことが分からなかった。
頑張れない人を見て、なんで頑張らないんだろう、と思っていた時期もある。ひどい話だと思う。いま自分が、その側にいる。
なってみたら、擦り傷どころの話ではなかった
実際にヘルニアになって知ったのは、これは「強い腰痛」ではないということだった。
一番ひどい時期は、電気ショックが走るような痛みで、起き上がってトイレに行くこともできなかった。椅子に座ると痛いので、立ったまま片足を椅子に乗せて、ご飯を流し込んでいた。それが数ヶ月続いた。
転んで足に擦り傷ができたら痛い。あれ以上の痛みが、寝ても起きても常にある。そうなると、仕事どころではない。頭も働かないし、やる気も出ない。気力でどうにかできる話ではなかった。体のほうが先に「無理だ」と決めている、という感じに近い。
ただ、これは自分ごとにならないと分からない。分からなかった側にいた人間として、それはよく分かる。だから、いま「甘えでは」と言われている人に、周囲を責めろとは言えない。言えないのが、この問題のいちばん厄介なところだ。
痛みが減ってからのほうが、罪悪感は濃くなる
意外に思われるかもしれないが、一番きつい時期は、罪悪感がそれほどない。動けないことが誰の目にも明らかだからだ。
問題はその後にある。
痛みは、だいぶ減った。自分としては、そろそろ治りかけと呼んでいる。ところが、その治りかけの中に別の症状がある。ちょっと動いただけで体がグタッとなる。一年数ヶ月、ほとんど仰向けで過ごしていた。その間に体力のほうが静かに落ちていたらしく、痛みのほうは引いたのに、そこだけ戻っていない。
外から見れば、もう痛くなさそうに見える。実際、痛みは減っている。それなのに動けない。この状態を説明する言葉を、自分はまだ持っていない。説明できないものは、まわりからは「甘え」に見える。自分から見ても、そう見える日がある。
「ヘルニア 甘え」で検索してしまうのは、たぶん、この回復期に入った人が多いんじゃないかと思う。
体の都合と、毎月の請求は関係がない
罪悪感を濃くしているものが、もうひとつある。お金だ。
体がどうであれ、家賃も、カードの請求も、決まった日に決まった額が出ていく。こちらの回復ペースを待ってはくれない。
それに耐えながら、リハビリを続けていていいのだろうか、と考える。治療を優先するのは、順番としてはたぶん正しい。ただ、正しいことと間に合うことは別で、自分が怖いのは後者のほうだ。そして、この「間に合わないかもしれない」という感覚が、休んでいる自分を責める材料になっていく。
スマホの中の人と、比べてしまう
夜、動画を見ていると、みんな頑張って見える。
無職の期間を数ヶ月続けながら発信している人がいる。育休の間に資格を取った人、その期間で起業した人もいる。画面の外の条件は見えていないし、事情もそれぞれ違うはずだ。頭では分かっている。それでも、比べる。
自分はこの一年ちょっとで、何を得たんだろう。そう考え始めると、その日が「休んだ日」ではなく「無駄にした日」に変わる。同じ一日なのに。
「気合いでなんとかなる」が、通じなくなった
ここから先は、書いていて気分のいい話ではない。
前の仕事で十数年、自分は「できるほうだ」と思っていた。自惚れかもしれない。ただ、任された仕事はこなしてきたつもりだったし、しんどい時期は気合いで越えてきた。
その気合いが、一切効かなくなった。
痛いと、頭が働かない。考えがまとまらない。やる気も出ない。今まで自分を支えてきた方法が、一つも使えなくなる。できるはずのことができない自分を、一日中、隣で眺めていることになる。罪悪感の正体は、たぶん、この「前の自分と比べる癖」のほうにある。
甘えかどうかを判定する物差しは、自分の中にない
それで、この問いに戻ってくる。どこまでが甘えで、どこからが自分の努力すべきことなのか。
昔の自分は、この線を簡単に引いていた。他人に対しても、自分に対しても。
いまは引けない。今日休んだのが体のためだったのか逃げだったのか、中にいる自分にも分からない。測る道具がないからだ。痛みには数値がないし、疲れやすさにも数値がない。医師に相談すれば体の状態は分かるが、「今日パソコンを開くべきだったか」までは誰も答えてくれない。
この問いに、自分はまだ答えを出せていない。答えのないまま書いている。出てから書こうとすると、たぶん一生書けないからだ。
それでも、線だけは自分で引いた
判定できないので、決めごとにした。
数時間でもパソコンを触れた日は、それで正解だと思うことにしている。
一日中動けていた頃の自分とは比べない。昨日とも比べない。触れた日は進んだ日。触れなかった日は、体を戻すための日。根拠はない。ただ、自分で線を引いておかないと、毎晩あの問いに削られるだけだから。
これは治療法でも回復法でもなく、罪悪感で消耗しないための、自分用の取り決めだ。体の状態や治療方針については、必ず主治医に相談してほしい。ここに書けるのは、気持ちの置き場所の話だけになる。
まだ動けている人へ(おせっかいだと分かって書く)
最後に、いま痛みがない人に向けて書く。おせっかいなのは分かっている。
自分の実感として言えるのは、ある日突然だった、ということだ。運動をせずに筋肉が落ちていって、ストレス解消もしないまま自分を追い込んで、ストレッチもせずに長時間無理をする。それでも、その日は大丈夫なのだ。大丈夫な日が続いて、ある日、動けなくなる。生活習慣病の話に似ていると思った。
もちろん、原因も経過も人によって違う。自分の場合はこうだった、という以上のことは言えない。
そのうえで一つだけ。日本では「努力」や「気合い」が仕事のほうにばかり向く。目の前の仕事を終わらせるために気合いを出すより、運動をするために頭を使うほうが、たぶん割に合う。椅子に座る時間そのものに気を配ることも、努力に数えていい。少なくとも自分は、そこに努力を使っておけばよかったと思っている。
一人でも何か感じることがあったら嬉しい。それと、いま自分より軽いフェーズにいる方へ。無理しないで、頑張ってくださいね。
よくある質問
- Q. ヘルニアで休むのは甘えなのか。
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A. 筆者は1年以上考えて、まだ答えを出せていません。ただ、自分がなる前は他人の腰痛を「アピール」だと思っていた側で、実際になってみると、起き上がってトイレに行くこともできない時期がありました。痛みの程度は外から見えず、本人にも数値化できません。判断がつかないなら、少なくとも自分を責める材料にはしない、というのが今の落としどころです。体の状態については主治医に相談してください。
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Q. 痛みが減ったのに動けない。周囲に怠けていると思われるのがつらい。
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A. 筆者も同じ時期にいます。長く横になっていた分だけ体力が落ちていて、痛みが引いても少し動くと使いものにならない日があります。外からは「もう痛くなさそう」に見えるため、回復期こそ誤解されやすいと感じています。説明する言葉が見つからないのは自分も同じで、うまい伝え方は提示できません。ただ、これは珍しい状態ではないようです。
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Q. 休む日と動く日の線引きは、どうやって決めたのか。
- A. 判定できないので、決めごとにしました。数時間でもパソコンを触れた日は正解、触れなかった日は体を戻す日、と自分で決めています。元気だった頃の自分とも、昨日とも比べません。根拠のあるルールではなく、毎晩「甘えかどうか」を考えて消耗しないための取り決めです。治療上の活動量については、必ず主治医の指示に従ってください。